硝子ソリューション事業部/
B-Pro(A)
1999年入社
電話やメール、会議は英語でこなす。数年前には想像もできなかったグローバルな仕事が、勝城にとって今や日常となっていた。グローバルな市場を相手に仕事ができる面白さを味わった勝城には、これまでにない自信がみなぎっていた。
はじまりは2006年春、当社の最大顧客である日本板硝子様が、英国のピルキントン社という世界トップクラスのガラスメーカーを買収した。
あまりにも突然のなりゆきに、誰もが驚きを隠せなかった。
その頃、勝城は、日本板硝子様の基幹システムに関する巨大プロジェクトに、数年間携わっていた。プロジェクトは全て順調とはいかないまでも、概ねゴールが見通せる状況となっていた。
そんな最中の出来事だった。
「これから、どんな風に仕事が変わっていくんでしょうか?」
不安な気持ちもあった。しかし、新しい環境へチャレンジできる興奮が勝っていた。
「海外で活躍していきたい。」
勝城の夢が、現実となる日が一歩近づいた。日本板硝子様を親会社に持つ当社に就職し、働き続けてきた自分の選択は正しかった。
周囲の状況はめまぐるしく変化していった。その中で新たなプロジェクトが編成され、参加することになった総勢60名、約半数は海外のメンバーであった。
グローバルに使用されているシステムを日本にも導入するそのシステムは、核となるシステムがドイツにあり、その他関連システムもアメリカにある、これまでにないグローバルな規模であった。
勝城にとって、新たな挑戦の幕開けだった。
海外と日本では、ハードやソフト、つまり機械そのものだけでなく、そもそも前提となる業務プロセスが異なっている。
まずは海外と日本で、何が同じで何が異なるのか、「Fit & Gap(フィット アンド ギャップ)」を隈なく調査する必要があった。
当初、カタコトの英語しか話せなかった。思いが伝わらず、悔しい思いをすることも度々であった。
「自分からコミュニケーションをとれるよう努力をしなければ。」
朝の挨拶はもちろん、ランチや飲みに誘うなど、できるかぎり接する機会を増やしていった。
数ヶ月もしないうちに、海外メンバーとのコミュニケーションもスムーズになり、会議で議論を戦わせるまでに成長できていた。
約半年間の調査がひと段落したのもつかの間、勝城は、プロジェクト内に設置された1チームのリーダを担い、仕様策定・設計に奔走していた。
スケジュールや人員手配、海外との交渉まで、全て勝城が責任を持って進めなければならなかった。
「明後日、ドイツに行かせてください。」
勝城に対し、今回のプロジェクトで、勝城の上司である英国スタッフは、「なぜ?」と切り返す。
「今、ドイツのメンバーと意思疎通がとれていないんです。
すぐにでも説明しに行かなければ、大きな後戻りが発生してしまいます。」
大切なのは、「なぜ必要なのか?」を納得してもらうこと。納得すればすぐにGoサインが出る。「おそらく」や「たぶん」といった理由では、納得してもらえない。
そんなやりとりが日常的に交わされ、勝城は度々ドイツへと出張した。
ドイツでは、午後2時間、英語でミーティングが行われた。
もはや通訳は必要ない。自分で作成した英語の資料をもとに、自らの思いを現地スタッフに伝えた。
ちょっとしたニュアンスを伝えるのは非常に難しい。しかし、身振り手振りを交えながら、実際のプログラムを見せ、必死で説明した。そんな熱意が伝わり、システムは無事完成した。
「Good progress!(よくやった)」
海外スタッフからかけられた一言が、勝城の脳裏に刻まれた。
数年前には想像もできなかった、グローバルな仕事を経験し、ひとまわり成長できたことを実感した。
今回、海外のプロジェクト・マネジメントから多くを学んだ。同時に、これまで自分たちが取り組んできた日本のマネジメントの良さも発見した。
「きめ細かく丁寧なプロセスをたどる日本のやり方を、今度は海外に広めていきたい。」
勝城は、さらなる夢への一歩を踏み出していた。